2017年11月20日月曜日

アントニア城塞

 いよいよ9節に入ります。舞台はピラトが詰めいているアントニア城塞です。そこは神殿にくっついていて、ユダヤにとってはありがたくない所でしょうけど、ローマの軍隊がここからエルサレムと神殿に目を光らせているんです。監視塔みたいなものなのでしょう。
 
 9節の導入の描写は時代背景がわかるように書かれていて、いろいろと教えられます。でもここでは割愛します。ぜひ小説よんでみてください。
 さてイエスは、アントニア城塞の中庭(舗床の庭)に連行されてきます。そこで祭司長がローマの兵隊に用件をつたえます。その間しばらくそこの情景が描写されます。ちょっと引用してみましょう。

 「舗床の庭」には未明の月影が、むらぬらと舗石を濡らしていた。中庭の要所々々には篝火が焚かれ、ぱちぱちと薪が爆ぜる音がした。中庭は厚い塁壁と四つの塔に囲まれていた。見上げると、各塔の上に歩哨が立ち、夜の監視に当っていた。……

 臨場感がありますね。月の光が「ぬらぬらと」舗石を濡らしているって、とても新鮮な表現でしょ。そしてカメラワークが、ぐっと塔の高いところへ回っていくのもいいですね。

 

2017年11月18日土曜日

不吉な予感


舞台はこれからユダヤ側の手をはなれてローマ側に移ります。
ペトロも場所を移動します。ちょっと失礼して……

 ペトロは「公衆」に混じって回廊をぬけ、境内の東側にある「ソロモンの回廊」を回っていった。回廊の列柱の間からエルサレムの町を見下ろすことができた。未明の月影が冴え冴えと町を照らしていた。だがペトロの目には町全体が蒼白く底光って、それが不吉な予感を漂わせているように見えた。
  

もう少しつづくんですけど、このくらいにしておきます。とても臨場感のある描写なんで、ぜひ小説でよんでみてください。
 

2017年11月17日金曜日

イエスの皮肉


裁判を見ていたペトロの感想で、ちょっと興味深いところがあります。まず引用してみます。

「ペトロは、目の前で祭司たちが愚かしい喜劇を演じるのを見ていた。だが師イエスが言った『神の筋書き』という言葉には得心のゆかぬものが残った。師イエスは神という言葉を日ごろ口にしたことがなかったからである。」

 あれほど祭司たちを驚かせた言葉なのに、ペトロは「そうだ」と反応しないで、かえって疑問を感じてるんです。作者はペトロの心の中もカッコで書いてます。

「(ひょっとするとそれは、祭司たちが戴く『神』の正体を白日の下に曝け出すための、師特有の皮肉であったのかもしれないが……)」

これってきっと、祭司たちが神を畏れない者たち、神の前で平気で偽りを行なう者たちであることを、イエスが曝露したってことではないかしら? イエスは神に対する不敬罪でさばかれるんですけど、ほんとうに神を敬っていないのはこの人たちです。ペトロはそのためにイエスが日ごろ口にしない神の名前を出しておどかしたんで、それで「先生の皮肉だったのかな」って考えたんじゃない?

じゃあ、イエスは神のことをどんなふうに考えていたんでしょう? 最後の晩餐の席でシモンが絡んだとき、イエスは「お前は神を何処かにいるものと思っているようだが、そういう神ならどこを捜してもみつかるまい」って、言ってましたね。そして「お前はここにいるではないか。神の心とはそういうものだ」と、謎めいたことを言ってました。わかりにくいけど、ちょっとわかるような気もします。でもこのへんで。

 

2017年11月12日日曜日

ペトロの否認


さて「公衆」に紛れて裁判の成り行きを見ていたペトロは、どうなっているんでしょう?

聖書では臆病者に描かれていますけど(あの三度の否認です)、小説では一度だけ否認する場面はありますけど、それは臆病だからじゃありません。自分がイエスの仲間だと名乗ったりしたら、計画が台無しになってしまうからです。ちょっと失礼して……


ペトロはその一部始終を見ていた。裁判の間中、できることなら自分が飛び出していって、師とともに裁かれたいと思った。だがそれはできなかった。その間ずっとペトロの耳許で聴こえていたのは「それでは事は成らぬのだ」というユダの言葉であった。この言葉によってペトロは辛うじて堪えていた。

聖書ではペトロはダメな弟子として描かれてますけど、小説ではまったく別の見方でペトロが(ユダも)描かれていて、それにキャラクターの動きがいろいろと絡んでいて、小説としてとても面白いんです。

2017年11月10日金曜日

神を畏れる者

 神殿側の者たちが仕組んだインチキ裁判の筋書きを、イエスは逆に「神の筋書き」と見たのです。
 作者はカイアファの内心をこう書いてます。

このときかれは内心、この裁判のうそ寒さに気づいたっかもしれなかった。かれもまた神を畏れる者であったとすれば……

https://cloutierpd2paschalmystery.weebly.com/arrest-and-trial-before-the-sanhedrin.html


でももう大祭司の仮面をかぶってしまったカイアファです。行くところまで行くしかありません。でもそれが「神の筋書き」なのかもしれません。ユダヤの民がモーセに率いられてエジプトを脱出した話が旧約聖書にあります。そこでエジプトの王様は、なんどもユダヤの神によって「かたくな」にされました。まるで金縛りにあったみたいに。もう自分で自分をコントロールできないんです。

あとは雪崩をうつようにイエスの有罪が決定されます。そしてただちにイエスの身柄はローマ側に引き渡されるんです。イエスがローマに引き渡されるのは、あのゲッセマネが口実になって、ローマに対する反逆罪が成立したことになるからです。
 
 

2017年11月9日木曜日

神の筋書き

   でもカイアファはもとの仮面をかぶりなおして、訊問をつづけます。

「お前はメシアなのか?」
このとき、イエスはようやく口を開いて言った。
「なぜそのように訊くのだ。おれがメシアならどうだというのだ。おれが怖いのか。お前がほんとうに怖れているものは何だ?」

イエスに見透かされたカイアファは、内心の動揺を隠してイエスをどなりつけます。
でもイエスは皮肉な微笑を浮かべて答えます。

 「お前らはおれを筋書きどおりに抹殺したいのだろう」
  そう言うと、イエスは正面に居並ぶ裁判官たちひとりひとりを舐めるように見回した。
   それからまた口を開いた。
   「だが、お前たちの筋書きが、神の筋書きだとしたら、どういうことになるか?」

すごい発言です。つづきはまた。

2017年11月7日火曜日

大祭司カイアファ

 法廷にあの大祭司カイアファ(カヤパ)が登場します。カイアファはイエスをあざけったあと、罪状を書記に読むよう命じます。それが終わると、証言者の証言がつづきます。みなうその証言をします。それもそのはず、証言者たちはみなイエスに不利なことしか言わない人たちを呼んでいるからです。傍聴する人たちも、じつは祭司の奴隷たちですから、作者は「公衆」とカギカッコをつけています。でもカイアファにも少しは祭司の自覚があります。 
内心イエスの弁明を恐れていたカイアファは、イエスが無言であることに安堵しながら、一方でイエスが何も言わないのを不思議に思った。……

 さしずめ現代なら、無実の人を有罪にしようとしている裁判長の心境というところ。つづきはまた。

2017年11月6日月曜日

サンヘドリンの法廷

 8節に入ります。

エルサレムの天空に満月がかかっていた ――
  ユダヤの新年を祝福するように、月影が神殿の金色の屋根を照らしていた。家々では人々がまだ眠りを貪っている時刻であった。

過越し祭が始まります。

でもこの大切な祭日にイエスの裁判が開かれるんです。しかも違法な裁判です。
  裁判の場面を描いたこの節は、つぎの節と合わせて第1章の圧巻ともいえます。丁寧な描写で、読者を裁判の場面にいるかのように引き込んでくれます。
  
 やがてゲッセマネで逮捕されたイエスが法廷に連行されてきます。つづきはまた。



2017年11月5日日曜日

シモンよ、さらばだ

 このあと、祭司はしぶしぶイエスの言葉にしたがいます。それから……

 「シモンよ、さらばだ」とユダは言って、ペトロに接吻した。
     それからシモンは、もう一度イエスを見た。イエスが、うなずいた。」

 これはひょっとしたら作者のミスかもしれません。イエスをもう一度見たのは、シモン(ペトロ)ではなくて、ユダではないかな? きっとユダは名残おしかったんです。だからイエスの姿をしっかり目に焼き付けておきたかったんでは? それにイエスもちゃんとこたえてます。


 このあとは、ユダの心境がのこされた「手記」というかたちで紹介されます。
  長いのでちょっとだけ……
「……おれは『主よ、赦してくれ』と心の中で何度も叫んだ。そのとき『お前はなすべきことを果たしたのだ』という師の声が聴こえた。……たとえおれに裏切り者の汚名が着せられようと、それはおれの本望だ。おれは地面にぬかずき、接吻した。そうしてようやく立ち上がることができた。去りゆく師とペトロの後姿を見ながら思った。これで良かったのだと……」



2017年11月3日金曜日

剣を収めよ

 祭司の命令でイエスが連れていかれるとき、ユダが「待て」と言って、ペトロがついてゆくっていう約束を守らせようとします。ところが祭司はこれを無視します。
 ユダはカチンときて「何!」って叫ぶと、祭司についてきた警備兵が剣を抜いたんです。

が、つぎの瞬間、ユダの従者の一人が、背後から警備兵が腰に差した短剣を奪うや、それを祭司の喉元に突き付けた。一瞬の出来事であった。
 
ユダって、こういう手下を使うことができるんでしょう。でもそこにイエスが入ります。


するとイエスが「剣を収めよ」と、言った。
  それから祭司に向って、
  「おれは逃げはせぬ。だから約束は守れ」と、諭すように言った。

これって、有名な場面です。ペトロが剣で相手の耳を切り落とすっていうすごい場面。マタイ福音書ではイエスは「剣を取る者は皆、剣で滅びる」って有名な言葉をいいます。
  でもこのあと、弟子たちはみんなイエスを残して逃げてしまうんです。
  ああなんてなさけない人たちでしょうって思うように書かれているわけ。
  でも小説の方は同じような場面でもぜんぜん違います。その違いが面白いんです。


2017年11月2日木曜日

イエスはだれか?

   約束どおり、祭司と神殿警備兵が松明をかかげてやってきます。

「待たせたな」
  祭司はそう言うと直ぐに、「イエスはだれか?」と訊いた。
  ユダがイエスに近づき、「師よ」と言って、自分の唇をイエスの唇に押しあてた。イエスはユダを抱きしめた。

 
男の人同士のキスです。しかもイエスはユダを抱きしめたんです。
 きっとそれはユダに対する感謝を表したのでしょう。そういえば妻のマリハムもイエスにキスしました。でもイエスは彼女を抱きしめなかった。なぜかな? それはおいて、このあとハプニングがおこります。それはまた。

第2章について

  『マルコによれば』第2章について書いてきました。ここでちょっとこの章について感想を述べてみます。  本章は時系列からいうと第1章(プロローグ)の前に位置します。第1章はイエスの「 公生涯 」に沿った物語展開でした。本章はその前史で、作者が想像的に描いたものですが、イエスがキリ...