2023年6月16日金曜日

第2章について

  『マルコによれば』第2章について書いてきました。ここでちょっとこの章について感想を述べてみます。
 本章は時系列からいうと第1章(プロローグ)の前に位置します。第1章はイエスの「公生涯」に沿った物語展開でした。本章はその前史で、作者が想像的に描いたものですが、イエスがキリストになるまでの物語というのは、私たちの興味をそそります。
 作者は公生涯以前のイエスを「エッセネの園」という学校(僧院)の学僧として描きます。エッセネの園は洗礼者ヨハネが開いた学校です。作者がこの学校を設定したのは、イエスとヨハネの関係を描き出すためです。福音書では、また一般には、ヨハネはイエスの先導者ですが、「その方の履物の紐を解く値打ちもない」(マルコ福音書1章)と、かんたんに片づけられています。これはイエスを神の子として強調するためです。でも作者は二人のの関係を師弟関係として描きました。これは、二人の関係をもっとリアルなものとして描き出すための、作者の創造的な工夫だと思います。

 ところで「エッセネの園」ですが、これは単なる作者の思い付きではありません。ヨハネ教団というのはクムラン教団と関係があったらしく、クムラン教団は厳格な教義でもって神殿の権威に対抗していた集団だとみられています。小説で、ヨハネは「エッセネの園」をそのクムラン教団から独立したものとして設定しています。これは可能性として妥当な設定だと思います。
 
 もうひとつ言えるのは、本章に限りませんが、イエスとその仲間たちの活動を当時の社会の中で描いている点です。当時のユダヤ社会はローマという大きな権力に支配されてましたから、ローマはユダヤ共通の敵ですが、ユダヤ社会の内部にあっては宗教的権威である神殿と、ヘロデのような世俗的権威が存在する二重構造をつくっていました。こうした社会構造の下で民衆はローマからも神殿からも為政者からも支配されていました。ヨハネもイエスもこの社会構造の下であえぐ民衆の側に立って、権威や権力に対峙していたわけです。そうしたことがこの小説全体の背景を形作っていますから、本章もとうぜん社会というのは重要な背景として描かれています。聖書あるいはイエスたちの行動は、もちろん宗教的に意味があって、だから今日までその影響を及ぼしているんですが、もう一つの社会的・歴史的な視点で聖書あるいはイエスたちの行動を考えてみることは、こんにちキリスト教が大きな影響力をもっているだけに、とても意味があると思います。
参考にどうぞ→エッセネ派 

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