さて「公衆」に紛れて裁判の成り行きを見ていたペトロは、どうなっているんでしょう?
聖書では臆病者に描かれていますけど(あの三度の否認です)、小説では一度だけ否認する場面はありますけど、それは臆病だからじゃありません。自分がイエスの仲間だと名乗ったりしたら、計画が台無しになってしまうからです。ちょっと失礼して……
ペトロはその一部始終を見ていた。裁判の間中、できることなら自分が飛び出していって、師とともに裁かれたいと思った。だがそれはできなかった。その間ずっとペトロの耳許で聴こえていたのは「それでは事は成らぬのだ」というユダの言葉であった。この言葉によってペトロは辛うじて堪えていた。
聖書ではペトロはダメな弟子として描かれてますけど、小説ではまったく別の見方でペトロが(ユダも)描かれていて、それにキャラクターの動きがいろいろと絡んでいて、小説としてとても面白いんです。
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