ヨハネの死は、一見ヘロデに好都合なことのようにもみえますが、そうもいきません。ヨハネ殺害の嫌疑が自分に向けられれば、民衆のさらなる離反を招きます。ヘロデには痛しかゆしといったところ。
いっぽうエッセネの園でも、ヘロデがこの機に乗じて園の壊滅を急ぐのではないかと戦々恐々状態です。この難局をどう乗り切るか。
まずはヘロデの動向を探るためにフィリポとヤコブ(ヨハネの兄)が故郷のガリラヤに戻って、現地の偵察を志願します。もともとヘロデはガリラヤの領主ですから、情報を得るのによいと考えたのです。
でももう一つ重要なことがあります。園の存続です。ヨハネは今回の責任をとって筆頭としての役を降りたいと言います。そこで後継にイエスが指名されますが、イエスはきっぱりと断ります。かれが後継指名を断ったというのは、そんな大任を引き受けたくないということではなくて、園の存続にこだわらないということです。かれは、いちばん大事なことはヨハネの遺志を継ぐことだと言います。
2023年5月31日水曜日
園の存続
2023年5月29日月曜日
ヨハネの遺骸
12節です。
皇帝に送った嘆願書に期待を込めたヨハネたちですが、それもむなしく、園に師ヨハネの遺骸が送り付けられてきます。
弟子たちがヨハネの遺骸を埋葬する場面の描写は長くはありませんが印象的です。でもかれらにはヨハネの死を嘆く時間的な余裕がありません。すぐに対策会議が開かれます。
その冒頭でヨハネの遺骸の送り手がだれか詮索がおこなわれます。そこでかれらはその送り手がネシャートであるらしいことを突き止めます。でもかれらには時間がありません。早急の対策を迫られます。
2023年5月27日土曜日
ヨハネの首のゆくえ
首を送り付けたのがネシャートだということを直感したヘロデですが、なんとかその場をとりつくろって宴を続行します。でもひそかに従者に命じて、ヨハネの首のゆくえを捜させます。
いっぽうネシャート。ヨハネを生還させることが不可能だとわかっていた彼女は、せめてその証にとヨハネの遺骸をエッセネの園に送ることを考えつきます。でもそこは彼女のこと、ヘロデに一泡吹かせてやるために、婚礼の場にヨハネの首を送り付けるという演出を行ったのです。
困惑するヘロデ。それをあざ笑うネシャート。その対比がおもしろいです。
2023年5月23日火曜日
ネシャートの仕業
11節です。
この場面はとてもドラマティックで臨場感があります。
ヘロデとヘロディアの婚礼の宴が盛り上がったころ、ヘロデの従者がヘロデの耳元に、アレタス王からの祝いの品が届けられたと告げます。ヘロデは怪しいとは思ったものの、成り行きからその贈り物を開けさせます。出てきたのは人の首。
ヘロデはアレタス王が宣戦布告のしるしとして送り付けてきたヘロデ軍の兵隊の首ではないかと想像します。と、突然そこに薄衣をまとった娘が現れ、ダンスを始めます。それが高潮に達したとき、娘は首を取り上げ、その場を立ち去ります。人々はあっけにとられるばかり……
これはヘロディアの娘サロメ(マルコの福音書にはその名前は書かれていません)が義父のヘロデにヨハネの首を所望したという有名な話を基にしてますが、小説では娘はサロメではありません。ではいったい誰?
それでヘロデは直感します。それはヨハネの首で、送り付けてきたのはネシャートだと。
2023年5月16日火曜日
ヨハネとネシャート
ネシャートは独房のヨハネを訪ねます。
そこでの二人の問答はとても面白いです。
ネシャートは「種の宿らぬ女に命はない」と言います。自分がヘロデから離縁同然に扱われ、もう子供が産めないことを彼女は嘆きます。
でもヨハネは「わたしは神の胎に入ることができるのだ」とこたえてます。
え、どういうこと? 神との一体化ってことかな? ネシャートと同じく、わたしには実感がないのでわかりません。でもそこはヨハネ。かれは男女の悦び(エクスタシー?)とは比較にならない悦びをもたらすものだと言います。悦びっていうと、ついエロティックなことを想像してしまいますけど、神との一体化にはそれとは違う悦びがあるということでしょうか?
でもこの二人の問答の中心テーマは「宿命」です。
会話の発端は、ネシャートはがヨハネにお互いが同じ宿命を負っていると言うところから始まります。これはネシャートのとんでもない勘違いにみえますけど、でもヨハネはそれを受け止めます。「宿命とは何か」っていうネシャートの問いにヨハネはこう応えます。ちょっと失礼して…
……おまえとわたしとが、こうしていま言葉を交わしていること自体が宿命だ。……とにかくお互いが出会ったということは印象される。それが森羅万象の内で生起しているかぎり、いずれも調和のなかにある。
敵も味方も宿命の環のなかにあるっていう感じ。う~ん
2023年5月10日水曜日
ヘロデとネシャート
10節です。
場所は前節と同じマカイルス要塞。そこでヘロデは本妻のネシャートの居室を訪ねます。
前にも触れたように、ネシャートは隣国ナバテアの国王の娘です。これは史実のようですが、詳しいことは知りません。
物語では不倫の夫と本妻の会話が聞けます。もちろんヘロデが弱い立場であることは当然です。どういう顔して妻の前に立てばいいんでしょう。でもかれがネシャートを訪ねたのは魂胆があるからです。それはヨハネの処遇です。ヘロデはヨハネの身柄をどうすればよいか困っています。ネシャートに聞いてもどうしようもないのに、ふらふらと来てしまった。情けない人ですね。
でもヘロデの訪問は意外なかたちで「解決」されます。それはネシャートにも魂胆があるからです。彼女にはお父さんのもとに逃亡するっていう計画があるのです。ヘロデとの会話で彼女はその決意を固めます。それにしてもどんな計画なんでしょう。聖書を知ってる人ならすこし想像できそうですね。でもそのように展開するのでしょうか?
2023年5月1日月曜日
愛と欲
第9節に入ります。
場面は変わってマカイルス城砦。そこは死海に面した隔絶の地です。
そこに洗者ヨハネが幽閉されています。
物語は、独房から引き出されたヨハネがヘロデの尋問を受ける場面に移ります。
ヘロデはヨハネと一対一で向き合い、自分の過去やいまの境遇などを話します。きっとふだんは誰にも言わないことをヨハネに告白したかったのでしょう。
この二人の対話で面白いのは愛についての問答です。
ヨハネは、ヘロデが言う「愛」は「欲」だと言います。これに対してヘロデは愛と欲はひとつのものだと言います。たしかに愛には崇高な感じがあります。それに対して欲は人間的。
普通のひとはヘロデのように生きているのではないかしら。ヨハネはそれを頭から否定しているのではなくて、ヘロデの王としての自覚を問題にしているのです。そしてこう言います。「わたしがおまえに言うことは、ただ一言、悔い改めよ」と。
ヨハネの許しを期待していたヘロデとしては、目算がはずれてしまいました。かれは「この偽善者め!」って捨て科白を吐いて、ヨハネをまた独房に押し込めます。
2023年4月29日土曜日
天上の武器は神の言葉だ
前からのつづきです。
ヘロデの攻撃の可能性に対して意見が対立してます。そこでヨハネは二人の意見をまとめてこんなふうに言います。ちょっと失礼して
地上の武器は剣や槍だ。だが、天上の武器は神の言葉だ。それは地上にあっては弱い。……だが天上の勝利はそこにあるのだ。
天上(神)を信じない人には空しい言葉かもしれませんね。でも人って言葉で生きてるから、地上の戦争だって言葉がだいじな役割をしてるはず。 プロパガンダっていうのもそうでしょ? だからわたしにはこのヨハネの言葉は、ただ理想を語っているだけではなく、大事なことを言っているんだと思います。どんな状況にさらされても神の言葉に信頼して、自分の身の処し方を決めるってことかもしれない。それが信仰っていうもの? そう思うと、あらためて信仰ってなんだろうと考えます。これ、きっととても大事なことですね。
ところで最後に、ヨハネはまたイエスに意見を求めます。イエスの答えは「逃げること」。逃げるが勝ち? みんなが失笑します。でもヨハネはそれを「隠れること」と言いかえて、時機を待つことと理解します。
この小説でも、イエスが処刑されたときペトロたちは隠れました。逃げたわけではありません。そして立ち上がるタイミングを見計らっていました。ですからこの箇所は伏線としても読めますね。
2023年4月26日水曜日
緊急会議の招集
八節に入ります。
最高法院(サンヘドリン)へ送った訴状ですが、一週間経っても回答なし。
ヨハネたちは焦ります。次の手を考えるために、ヨハネは評議員による緊急会議を招集します。
最終的には皇帝への直訴が決まります。執筆を任されたのはナタナエルです。このひと、のちにイエスの十二弟子(物語では十二弟子という括りはないですけど)のひとりになるひとです。学者肌のひとみたい。
でも皇帝への直訴となると、ヘロデが先手を打って園を攻撃してくる可能性もあって、これは危険な賭けでもあるのです。
ここでもヨハネはイエスに意見を求めています。イエスは、師のヨハネにはメシアの自覚があって、そこにはヨハネが期待するような秘策などはなく、ただ「義」だけをもってヘロデのもとに赴いたのだと言います。
でも何もしないで師を死地に向かわせるわけにはゆきません。評議員のひとりは、以前いたクムラン僧院の「戦いの規律」というのを取り上げて、ヘロデとの抗戦を主張します。
これに反論するひともいます。トマスです。このひとものちにイエスの仲間になるひとで、いわゆるイエスの十二弟子のひとりです。物語のなかでこの人、「武器をとって戦えば、その武器で叩かれるものだ」って言います。あれ、これって聖書にあるイエスの有名な言葉ですよね。どうして作者はこの言葉をトマスに言わせているんでしょう?ちょっと気になりますね。
2023年4月24日月曜日
ヘロデの反省
七節に入ります。
怒りに任せてヨハネを拘束したものの、ヘロデはちょっと反省します。はたしてあれでよかったかって。ヘロデの懸念はヨハネの弟子たちに訴えられることです。裁判となれば、自分に都合の悪い事実があからさまになって、ローマ総督から自分が罷免されるかもしれないからです。このあたりのやりとりは歴史背景の理解としても面白いので、ぜひ本文で確かめてみてね。
七節の最後にヘロデの本妻の名前が出てきます。不倫の妻ヘロデアの名前は聖書にしるされていますが、本妻は「ナバテア王の娘」とあるだけで、名前はわかりません。でも名前のない人はいないでしょうから、作者は彼女に「ネシャート」という名前をつけています。この女性は物語が展開していくうえで重要なひとの一人となります。彼女はいまマカイルスにある宮殿に幽閉されています。マカイルスってどこ? それはまた。
2023年4月19日水曜日
ヨハネの憂悶
ヨハネはさっそく訴状の執筆にとりかかります。
でも心の中に様々なことが思い浮かびます。なかでも師ヨハネとイエスのことが。
やがてかれは預言者イザヤの故事に思いを馳せます。その内容は旧約聖書の「イザヤ書」にあります。ヨハネは当時イザヤが体験したことを現在に重ねます。ちょっと失礼して、
イザヤは為政者の愚政にあえぐユダヤの惨状を嘆いていた。ヨハネの脳裡に、荒廃したユダヤの光景がまざまざと浮かんだ。それはまるで今日の情況を描いているかのようであった。まことにそれは終末の惨状であった。だがそこには一条の光が射している ― 昏きを歩む民、大いなる光を見、死の陰地に棲む者の上に光耀けり ―
第2章について
『マルコによれば』第2章について書いてきました。ここでちょっとこの章について感想を述べてみます。 本章は時系列からいうと第1章(プロローグ)の前に位置します。第1章はイエスの「 公生涯 」に沿った物語展開でした。本章はその前史で、作者が想像的に描いたものですが、イエスがキリ...