2023年5月16日火曜日

ヨハネとネシャート

  ネシャートは独房のヨハネを訪ねます。
 そこでの二人の問答はとても面白いです。
 ネシャートは「種の宿らぬ女に命はない」と言います。自分がヘロデから離縁同然に扱われ、もう子供が産めないことを彼女は嘆きます。
 でもヨハネは「わたしは神の胎に入ることができるのだ」とこたえてます。
 え、どういうこと? 神との一体化ってことかな? ネシャートと同じく、わたしには実感がないのでわかりません。でもそこはヨハネ。かれは男女の悦び(エクスタシー?)とは比較にならない悦びをもたらすものだと言います。悦びっていうと、ついエロティックなことを想像してしまいますけど、神との一体化にはそれとは違う悦びがあるということでしょうか? 
 
 でもこの二人の問答の中心テーマは「宿命」です。
 会話の発端は、ネシャートはがヨハネにお互いが同じ宿命を負っていると言うところから始まります。これはネシャートのとんでもない勘違いにみえますけど、でもヨハネはそれを受け止めます。「宿命とは何か」っていうネシャートの問いにヨハネはこう応えます。ちょっと失礼して…

……おまえとわたしとが、こうしていま言葉を交わしていること自体が宿命だ。……とにかくお互いが出会ったということは印象される。それが森羅万象の内で生起しているかぎり、いずれも調和のなかにある。

 敵も味方も宿命の環のなかにあるっていう感じ。う~ん 


0 件のコメント:

コメントを投稿

第2章について

  『マルコによれば』第2章について書いてきました。ここでちょっとこの章について感想を述べてみます。  本章は時系列からいうと第1章(プロローグ)の前に位置します。第1章はイエスの「 公生涯 」に沿った物語展開でした。本章はその前史で、作者が想像的に描いたものですが、イエスがキリ...