宮の清めというのは、イエスにしてはめずらしい暴行です。こんな神聖な場所を商売で汚すなんて、ここを「強盗の巣」にすることはで許さないぞ!(小説には書いてありません)
すごい剣幕で台や腰掛けをひっくり返します。
こんなことをすれば、いまならすぐに逮捕されますよね。でもイエスは民衆を味方につけていたから、警備の人たちも手がだせなかったのね。でもこれをきっかけに、祭司長や律法学者はイエスを殺そうとします。
これが聖書に書かれていることだけど、マルコの11章に。でも「マルコによれば」では、騒ぎを起こしたのはイエスではなくてガリラヤからきた「盗賊たち」になってます。「『盗賊』たちは両替屋から奪った金品を懐にして、あとは散り散りになって逃走していった」って書いてありますから、かれらはお金めあてに暴行をはたらいたのでしょう。その濡れ衣をきせられたのがイエスというわけです。
でも作者がそうした理由はなんでしょう?
聖書の記事の方がストレートでわかりやすいですよね。宮の清めというのは後からつけた意味だとしても、神殿の境内で暴行をはたらいたというのはとてもリアルだから、ほんとうにあったように思えます。でもガリラヤから来た強盗たちっていうのも、なにか意味ありそうですね。あとで出てくる熱心党かもしれないし。
でもイエスの暴行も、なんだか突然キレた感じもしますね。むかしのお父さんみたいに、気に食わないと言ってちゃぶ台ひっくりかえしたみたいに。マルコはそれをお祓いの儀式みたいな意味にしたのかも。でもそれならリアルじゃなくなりますね。わけわかんないけどキレちゃったほうが、リアルですよね。
わたしのかってな想像だけど、作者はイエスひとりの仕業ではなくて、ガリラヤからきた人たち(盗賊にカギかっこつけて「盗賊」にしてますから、本物の盗賊じゃないってことですね)の仕業にすることで、もっと社会背景とか時代背景とかいったものを取り込みたかったのではないかな?
ちょっとあとで気がついたんだけど、神殿の境内で商売している人たちを追い払うなんて、イエスらしくないと思いません? みんないっしょうけんめいに生活している人たちでしょ。もちろんあこぎな商売をしている人もいるかもしれないけど、取税人だって娼婦だって、祭司や律法学者なんかよりもずっと神の国にちかいって言った人です。犠牲のハトを売る人も、両替屋さんも必要でしょ、神殿には。日本でも祭日のお寺の前で屋台が出てるみたいに。だったらそんな人たちを「ここは神聖な場所だ。おまえたちはそれを強盗の巣にしているぞ。ここから出ていけ」なんて言う? 言うとしたら、魅力ないよね、そんなイエスに。
ちょっとあとで気がついたんだけど、神殿の境内で商売している人たちを追い払うなんて、イエスらしくないと思いません? みんないっしょうけんめいに生活している人たちでしょ。もちろんあこぎな商売をしている人もいるかもしれないけど、取税人だって娼婦だって、祭司や律法学者なんかよりもずっと神の国にちかいって言った人です。犠牲のハトを売る人も、両替屋さんも必要でしょ、神殿には。日本でも祭日のお寺の前で屋台が出てるみたいに。だったらそんな人たちを「ここは神聖な場所だ。おまえたちはそれを強盗の巣にしているぞ。ここから出ていけ」なんて言う? 言うとしたら、魅力ないよね、そんなイエスに。
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