ヨハネが戻ってきました。
イエスはヨハネに受洗を申し出ます。ここの二人の会話もおもしろいです。
形式を嫌うはずのイエスがなんでまた洗礼なんていう形式にこだわるのって感じ。
わたしも高校生になったとき周囲のすすめで洗礼(バプテスマ)を受けました。教会の講壇の前の床が小さなプール(それともお風呂?)になっていて、そこに水がいっぱい満たしてあるんです。牧師がなにか決まった宣言みたいことを言って、わたしの口と鼻をタオルで押さえてから、仰向けに水に浸すのです。たしかに独特な感覚です。これって何だろう、みたいな。それから着替えがすむと、みんなから「おめでとう」って祝福されるんだけど、わたしの内心はけっこう複雑でした。たしかにうれしかったんだけど、これで何が変わるんだろうって冷めた自分もあったみたい。
さて、イエスが受洗を望んだ理由は、師ヨハネの弟子であることの証を「かたち」として記憶しておきたかったことです。案のじょうヨハネは洗礼は「おまえが嫌うかたちというものではないか」と突っ込みます。イエスは「かたちと形骸とはちがう」と返します。
わたしの受洗はどっちだったのかな。
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