イエスは律法がもたらす支配者たちの偽善を告発し、それが民衆を縛っていることに憤っているのです。律法がそれだ。律法こそ、あなたのいう「よくできた定規」だ。ところがその精確さを追求した結果が、ひとの生活を縛ってしまったのではないか。……だからいっそ定規など使わずに、素手で現実にぶつかたほうが、むしろ律法の精神にかなうというものではないか。
でもこの無政府主義者みたいなこの発言にヨハネは、「おまえは素手と言うが、それもひとつの定規ではないか」と切り返します。
問答はそこで終わってます。でも考えさせられますね。そこが小説の肝かもしれませんね、考えさせられるってことが。
ここでは、律法つまり法律ってなんだろうというのと、あとひとつはヨハネが言った「それもひとつの律法ではないか」という批判。いま世界中で良心的なひとたちが拘束されているけど、これこそイエスが告発しているのと同じことだよね。でもキリスト教だって、権力の座につくと教義という律法を盾にして民衆を弾圧したのだし、アメリカ福音派の原理主義なんてコチコチの律法主義だし……神を疑うってことは、そんな人間の身勝手な「神学」を疑うってこと。イエスが「素手」って言ったのは、つまり自分の頭を使って現実を見なさいってことになるのかな……
なんだかごちゃごちゃになってきちゃったので、このくらいにします。
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