2023年6月11日日曜日

園の存亡

  フィリポとヤコブが園に帰ってみると、そこではヘロデに対して武器をもって戦おうという者たちとそれに反対する者たちの間で分裂が生じていました。
 ここでもイエスの発言権は大きいようで、ヘロデに対抗するなら、いまいるユダヤよりもヘロデの領地であるガリラヤのほうがよいと言います。しかしイエスにとって本当の相手はヘロデというより、ヘロデに体現された終末のありさまです。かれは言います。「ユダヤはヘロデ家の腐敗とともに朽ちようとしているのだ。それが終末の兆候だ。だが終末はもはや避けることはできぬ。」そしてつづけて、「師はそう考え、行動したのだ」と言い、そのあとに重要なことが語られます。

 師はその答えを何も遺さずに死んでいった。だが、それこそが師の遺志というものであろう。それに答えるのは師ではなく、おれたちのほうだ。

これって、後のイエスそっくりですね。でもそれを口にするのは誰かしら?

2023年6月10日土曜日

ティベリアスで

 14節です。12節でフィリポとヤコブのふたりがガリラヤに向かうことが書かれていました。本節はその話から始めります。
 かれらはガリラヤの首都ティベリアスの町に入って、そこの人々からいろいろな話を聞きだします。でもかれらが聞き出したいのはもちろんヘロデの動向です。
 そして、どうやら目立った動きはないようだとみたかれらはエルサレムを経由して園に帰ります。

2023年6月9日金曜日

ネシャートの凱歌

 ヘロデはヨハネの遺骸がエッセネの園に送り付けられたことを突き止めます。
 そして侍従と相談したうえで、園について今後の動向を見守ることにします。

 ともかくネシャートの復讐は遂げられました。でも彼女は凱歌をあげたのでしょうか? そのとばっちりを受けたのがヨハネですが、かれはそれを「宿命」として受け入れたかもしれませんね。やはり割を食ったのはヘロデと妻ですね。さぞや肝をつぶしたことでしょうね。
 
 福音書に書かれたヨハネの首事件。そこでもヨハネの首はサロメの邪な思いつきで切り落されたことになっていますが、ほんとうにそうだったんでしょうか? もっと現実を反映したリアルな理由があったんじゃないかな? 小説は、必ずしもリアルな想像とは言えなくとも、領主ヘロデが置かれた状況やエッセネの園が置かれた状況を軸に、当時の情勢を反映した物語となっています。ヘロデの本妻(ネシャート)を登場させてくれただけでも「功績」かな? だって彼女、福音書ではノーマークですものね。その彼女をキーマンとしてヨハネ事件を描いたところが、この小説らしいところです。

2023年6月7日水曜日

呪われた結婚

 13節です。
 ヨハネの遺骸がエッセネの園に送り付けられてきた同じころ、ヘロデのもとにネシャートの逃亡という報せが届きます。
 ヨハネの件とネシャートの逃亡。そこに関連があることを察したヘロデは、もはや動揺を隠すことができません。ネシャートの逃亡先が父アレタス王のいるナバテア国であるのは明らかです。そうなれば戦争は必至です。
 ところでそれまで詳しい事情を聞かされていなかったへロディアはといえば、最初はこの事態に気を失ってしまいまが、正気に返ると、彼女は彼女なりに事態を把握しようと試みます。夫婦は同じ状況にあるいとはいえ、夫との間には完全な意思疎通はできていないようです。ヘロデはネシャートのことを妻にきちんと伝えていなかったのです。それは気遣いだったのかそれともほかに?  へロディアの心に夫に対する疑惑が生じます。

2023年5月31日水曜日

園の存続

  ヨハネの死は、一見ヘロデに好都合なことのようにもみえますが、そうもいきません。ヨハネ殺害の嫌疑が自分に向けられれば、民衆のさらなる離反を招きます。ヘロデには痛しかゆしといったところ。
 いっぽうエッセネの園でも、ヘロデがこの機に乗じて園の壊滅を急ぐのではないかと戦々恐々状態です。この難局をどう乗り切るか。
 まずはヘロデの動向を探るためにフィリポとヤコブ(ヨハネの兄)が故郷のガリラヤに戻って、現地の偵察を志願します。もともとヘロデはガリラヤの領主ですから、情報を得るのによいと考えたのです。
 でももう一つ重要なことがあります。園の存続です。ヨハネは今回の責任をとって筆頭としての役を降りたいと言います。そこで後継にイエスが指名されますが、イエスはきっぱりと断ります。かれが後継指名を断ったというのは、そんな大任を引き受けたくないということではなくて、園の存続にこだわらないということです。かれは、いちばん大事なことはヨハネの遺志を継ぐことだと言います。

2023年5月29日月曜日

ヨハネの遺骸

 12節です。
 皇帝に送った嘆願書に期待を込めたヨハネたちですが、それもむなしく、園に師ヨハネの遺骸が送り付けられてきます。
 弟子たちがヨハネの遺骸を埋葬する場面の描写は長くはありませんが印象的です。でもかれらにはヨハネの死を嘆く時間的な余裕がありません。すぐに対策会議が開かれます。
 その冒頭でヨハネの遺骸の送り手がだれか詮索がおこなわれます。そこでかれらはその送り手がネシャートであるらしいことを突き止めます。でもかれらには時間がありません。早急の対策を迫られます。

2023年5月27日土曜日

ヨハネの首のゆくえ

 首を送り付けたのがネシャートだということを直感したヘロデですが、なんとかその場をとりつくろって宴を続行します。でもひそかに従者に命じて、ヨハネの首のゆくえを捜させます。
 いっぽうネシャート。ヨハネを生還させることが不可能だとわかっていた彼女は、せめてその証にとヨハネの遺骸をエッセネの園に送ることを考えつきます。でもそこは彼女のこと、ヘロデに一泡吹かせてやるために、婚礼の場にヨハネの首を送り付けるという演出を行ったのです。
 困惑するヘロデ。それをあざ笑うネシャート。その対比がおもしろいです。

2023年5月23日火曜日

ネシャートの仕業

  11節です。
 この場面はとてもドラマティックで臨場感があります。
 ヘロデとヘロディアの婚礼の宴が盛り上がったころ、ヘロデの従者がヘロデの耳元に、アレタス王からの祝いの品が届けられたと告げます。ヘロデは怪しいとは思ったものの、成り行きからその贈り物を開けさせます。出てきたのは人の首。
 ヘロデはアレタス王が宣戦布告のしるしとして送り付けてきたヘロデ軍の兵隊の首ではないかと想像します。と、突然そこに薄衣をまとった娘が現れ、ダンスを始めます。それが高潮に達したとき、娘は首を取り上げ、その場を立ち去ります。人々はあっけにとられるばかり……
 これはヘロディアの娘サロメ(マルコの福音書にはその名前は書かれていません)が義父のヘロデにヨハネの首を所望したという有名な話を基にしてますが、小説では娘はサロメではありません。ではいったい誰? 
 それでヘロデは直感します。それはヨハネの首で、送り付けてきたのはネシャートだと。

2023年5月16日火曜日

ヨハネとネシャート

  ネシャートは独房のヨハネを訪ねます。
 そこでの二人の問答はとても面白いです。
 ネシャートは「種の宿らぬ女に命はない」と言います。自分がヘロデから離縁同然に扱われ、もう子供が産めないことを彼女は嘆きます。
 でもヨハネは「わたしは神の胎に入ることができるのだ」とこたえてます。
 え、どういうこと? 神との一体化ってことかな? ネシャートと同じく、わたしには実感がないのでわかりません。でもそこはヨハネ。かれは男女の悦び(エクスタシー?)とは比較にならない悦びをもたらすものだと言います。悦びっていうと、ついエロティックなことを想像してしまいますけど、神との一体化にはそれとは違う悦びがあるということでしょうか? 
 
 でもこの二人の問答の中心テーマは「宿命」です。
 会話の発端は、ネシャートはがヨハネにお互いが同じ宿命を負っていると言うところから始まります。これはネシャートのとんでもない勘違いにみえますけど、でもヨハネはそれを受け止めます。「宿命とは何か」っていうネシャートの問いにヨハネはこう応えます。ちょっと失礼して…

……おまえとわたしとが、こうしていま言葉を交わしていること自体が宿命だ。……とにかくお互いが出会ったということは印象される。それが森羅万象の内で生起しているかぎり、いずれも調和のなかにある。

 敵も味方も宿命の環のなかにあるっていう感じ。う~ん 


2023年5月10日水曜日

ヘロデとネシャート

 10節です。
 場所は前節と同じマカイルス要塞。そこでヘロデは本妻のネシャートの居室を訪ねます。
 前にも触れたように、ネシャートは隣国ナバテアの国王の娘です。これは史実のようですが、詳しいことは知りません。
 物語では不倫の夫と本妻の会話が聞けます。もちろんヘロデが弱い立場であることは当然です。どういう顔して妻の前に立てばいいんでしょう。でもかれがネシャートを訪ねたのは魂胆があるからです。それはヨハネの処遇です。ヘロデはヨハネの身柄をどうすればよいか困っています。ネシャートに聞いてもどうしようもないのに、ふらふらと来てしまった。情けない人ですね。
 でもヘロデの訪問は意外なかたちで「解決」されます。それはネシャートにも魂胆があるからです。彼女にはお父さんのもとに逃亡するっていう計画があるのです。ヘロデとの会話で彼女はその決意を固めます。それにしてもどんな計画なんでしょう。聖書を知ってる人ならすこし想像できそうですね。でもそのように展開するのでしょうか?
 


2023年5月1日月曜日

愛と欲

 第9節に入ります。
 場面は変わってマカイルス城砦。そこは死海に面した隔絶の地です。
 そこに洗者ヨハネが幽閉されています。
 物語は、独房から引き出されたヨハネがヘロデの尋問を受ける場面に移ります。
 ヘロデはヨハネと一対一で向き合い、自分の過去やいまの境遇などを話します。きっとふだんは誰にも言わないことをヨハネに告白したかったのでしょう。
 
 この二人の対話で面白いのは愛についての問答です。
 ヨハネは、ヘロデが言う「愛」は「欲」だと言います。これに対してヘロデは愛と欲はひとつのものだと言います。たしかに愛には崇高な感じがあります。それに対して欲は人間的。
 普通のひとはヘロデのように生きているのではないかしら。ヨハネはそれを頭から否定しているのではなくて、ヘロデの王としての自覚を問題にしているのです。そしてこう言います。「わたしがおまえに言うことは、ただ一言、悔い改めよ」と。
 ヨハネの許しを期待していたヘロデとしては、目算がはずれてしまいました。かれは「この偽善者め!」って捨て科白を吐いて、ヨハネをまた独房に押し込めます。


第2章について

  『マルコによれば』第2章について書いてきました。ここでちょっとこの章について感想を述べてみます。  本章は時系列からいうと第1章(プロローグ)の前に位置します。第1章はイエスの「 公生涯 」に沿った物語展開でした。本章はその前史で、作者が想像的に描いたものですが、イエスがキリ...