昨日のところをすこし巻き戻します。
「お前がガリラヤで闘ったことは少しも無益なことではない」と言うイエスに、シモンは「どうして無益でなかったと言えるのか?」と突っ込みます。ちょっと失礼して……
「……そう言えるのは貴方が神の子、いや人の子だからか?」 「そうではない。神の子であれ、人の子であれ、神の心というものはこれだと言って示すことはできぬ。お前は神を何処かにいるものと思っているようだが、そういう神ならどこを捜しても見つかるまい。お前が希望を託した神は幻にすぎぬ」
これって、すごい言葉でしょ。以前はわたしも神がどこかにいると思っていました。でも祈っても、かなえられるものとはかぎりません。いいえ、ほとんどかなえられないです。かみさま助けてくださいって祈っても、助けてもらえないことはちょっちゅうあります。神さまなんていない。そう思います。ほんとに。シモンもそう思ったでしょう。そう言うと、それはあなたの祈りが足りないからですとか、そのうち答えがありますとか言われるんですけど、しょうじき信じられません。
でもイエスが(もちろん小説のなかですけど)「お前は神を何処かにいるものと思っているようだが、そういう神ならどこを捜しても見つかるまい」と言うのを聞くと、まるで自分に言われているように思えるんです。それどういうこと?って聞きたくなるんです。
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