さてピラトの命令を受けた四人の兵隊たちは、イエスの遺体を麻袋にいれて「共同墓地」まで運んでゆきます。そこは「城壁の南、ヒンノムの谷にある塵芥(ごみ)の集積地」で、「身元の不確かな処刑者はそこに遺棄されるのが常であった」と書かれています。途中は雨後のぬかるみ道で、兵隊たちはもう大変。でもなんとか辿り着きます。そこは「世の中の穢れという穢れがここにすべて集められたような観を呈している」ようなおぞましいところ。そんなところにイエスは棄てられたのです。
もちろんこれは作者の想像ですが、イエスの復活をこんな風に物語ってみせてくれたのはとても興味深いことです。これは単純に「真相はこうだ」みたいなものとは似て非なるものです。それは復活という事件が単純なことではないという認識から生まれた真剣な想像だと思います。ふつうクリスチャンは復活をまるごと信じていて、疑うことは不信仰だみたいにとらえているようですが、わたしは疑ったからって、それで信仰に反しているとは思いません。疑うことで理解できることだってあると思うから。じゃあどう理解するのっていうと、イエスなら「聴く前に自分で考えよ」って言うんじゃないかしら。きっと作者は真剣に考えているんだとおもいます、復活という出来事を。だからわたしには作者の想像がとても興味深く感じられるんです。

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