2018年3月29日木曜日

ゴルゴタの丘


雨雲が垂れこめていた。その曇天の下、ゴルゴタの丘に一本の杭がぽつねんと立っている。その上空を鳥が舞っていた。……

 

13節はこんな書き出しではじまります。引き立てられたイエスの前で罪状が読み上げられます。「この罪人、ガリラヤのイエスは、ユダヤ王の僭称、および皇帝に対する反逆の廉により死罪と決せられた者である。これより罪人イエスに対して下された刑を執行する」

こうしてイエスは両手首に釘を打ち込まれ、その横木が杭に差しこまれます。そして杭が突き出たところに「ユダヤ王」という捨札が張り付けられます。でもこれは冤罪なのです。いつの時代もこういう良心の囚人がいますが、イエスもそのようにして死刑にされるのです。でも悲しいことに、イエスは嘲りを受けます。

 受難の場面は福音書でもわりとくわしく書かれていますが、作者はそれをなぞるようには書いてません。いちばん大きな違いは、福音書ではイエスの両隣りに囚人がいるのですが、小説ではイエスがひとりいるだけです。それから有名な「わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という言葉もありません。イエスはもう一言も発していないのです。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿

第2章について

  『マルコによれば』第2章について書いてきました。ここでちょっとこの章について感想を述べてみます。  本章は時系列からいうと第1章(プロローグ)の前に位置します。第1章はイエスの「 公生涯 」に沿った物語展開でした。本章はその前史で、作者が想像的に描いたものですが、イエスがキリ...