2018年3月27日火曜日

死の行進


「死の行進」の場面はまだつづきます。「王の道」の沿道の群衆は膨れ上がって、「祭日の見世物でも楽しむかのように」たいへんな騒ぎになってます。犬がほえてます。「ユダヤ王ばんざい」ってふざけている人たちもいます。イエスは横木をかつげなくなって、ローマ兵がほかの人にかつがせたりします。この人の名は書かれてませんが、聖書では「シモンというキレネ人」(マルコ15章21節)として書かれてます。イエスがゴルゴタまで引かれていく情景は聖書にはあまり詳しく描かれてませんが、映画などではよく見ます。作者の描写もそんな感じです。でもその場の情景が目に浮かぶように描かれています。そのなかで語り手がつぎのように語ります

……祭司たちが選んだその日が、ちょうど過越祭に屠(ほふ)られる子羊のように、「人の子」の犠牲の日となることを、かれらは知る由もなかった……そこに何者かの企みがあったのであろうか。ひょっとしてそれは、ほんとうに神の筋書きというようなものであったのかもしれない……

「神の筋書き」というのは、法廷でイエスが口にした言葉です。なにかとても大事なことを暗示しているような言葉です。

 
 ところでイエスが十字架をかついで通った道は「悲しみの道」と呼ばれてますが、小説では人々が「王の道」(正式な名前ではないようですけど)と呼んでいることになってます。話がとつぜん飛びますが、あのアカデミー賞でスターが通る道をレッドカーペットと呼びますけど(ウィキペディアをみると、ギリシャ悲劇の「アガメムノン」が出典みたいです)、なぜ赤なのかなと考えてみますと、なにか血の色にも思えます。華やかな道ですけど、裏返すと不吉な感じもします。どこかで受難のイエスが歩んだ道と重なるような気もします。ちょっと想像がすぎるかもしれませんけど。

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