2017年12月23日土曜日

ベタニア村

 ベタニア村はエルサレムの東方、神殿を見下ろす橄欖(オリーブ)山からは東南の方角にある小さな山村である。

 11節の書き出しです。イエスが十字架を背負ってゴルゴタへ向うまえに、作者はシーンをベタニアに移します。ベタニア村には「マルタの家」があります。この家が、イエスたちがエルサレムにいる間泊っていた「宿舎」です。

 ところでベタニアは聖書で有名なとマルタとマリヤの姉妹が住んでいるところです(作者は彼女たちが住んでいる場所を「宿舎」として描いています)。イエスのお世話をいっしょうけんめいにこなしているマルタが、なんにも手伝わずにイエスの話に聞き入っているマリアを不満に思って、イエスに告げ口すると、イエスがマルタに「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している」とたしなめたあと、「しかし、必要なことはただ一つだけです」と諭す有名な場面があります。
 牧師さんは、ここで信仰第一って強調するところですけど、でもわたしはマルタがかわいそうな気がします。
 ヨハネの福音書ではラザロは姉妹の兄弟になってます。(11:1)あのドラマチックな復活で有名な人ですね。



2017年12月22日金曜日

いまはまだその時ではない


ペトロはみんながマリアの家を出たのを見届けた後、マリアとマルコにお礼を言います。するとマルコが自分もついていきたいと申し出ます。でもペトロは「いまはまだその時ではない」と断わります。若いマルコを巻き添えにしたくないというペトロの気づかいかもしれません。ペトロは微笑みを返して別れをつげると、あのアントニアの城塞の方角にむかって去ってゆくのです。

これで10節が終わります。

2017年12月17日日曜日

主よ

 みな急いでゴルゴタに向います。でも一緒になって行っては危険です。二人一組で出かけます。出かけるまえにペトロが祈ります。

主よ 師イエスの意志が貴方の意志であるように
その意志を成就させ給え
  主よ われらひとりひとりを護り給え
     艱難(かんなん)に耐え得る意志を与え給え
     われら、いかなるときも貴方により頼み
     貴方以外の神を拝さず
     兄弟姉妹ささえあい
     貴方の国の住人とさせ給え
  主よ ここに集うひとりひとりのうえに 
     貴方の祝福があらんことを

 教会でよく唱えた「主の祈り」と、礼拝の最後に牧師が唱える「祝祷」が合わさったような祈りです。でもこの緊迫したシーンではとても切実な思いが伝わってきます。

2017年12月12日火曜日

師の最期を見届けることだ

 さて前からのつづきです。ペトロは処刑されるのがイエスの望みだという理由をみんなに説明します。それは「人の子として「一粒の種」になるためだというのです。「人の子」も「一粒の種」も、すでにイエスから聞いたことがあるのですが、まさかそれが死ぬことだったなんて!しかも本当に処刑されようとしているんです。OMGです。
 でもペトロはふんばって最後まで説明します。一粒の種のたとえは、種がいつか成長するということ。「師が一粒の種なら、おれたちは何だ?」そう問いかけます。みんな事態が深刻なことにようやく気づきます。「おれたちにいまできることは何か」という問いにペトロは「師の最期を見届けることだ」とこたえます。つづきはまた。
 

2017年12月9日土曜日

処刑されるのは師の望みなのだ

 10節に入ります。
 ペトロが再びマルコの母が営む旅館にもどってきます。

先生のイエスがとんでもないことになっていることを知らない仲間の人たちは、まだ眠っています。イエスの妻のマリハムとラザロはベタニアにすでに帰ったところです。(ベタニアというのはイエスにしたがってガリラヤから出てきた人たちが泊っている宿舎があるところです。もう少しあとで、ベタニア村の説明がありますから、くわしいことはまたそのときね)
  ペトロがみんなを起こしてすぐに集まるように言います。
  みんなはイエスが逮捕されたうえに裁判にかけられ、おまけに処刑されると聞いて、びっくり!
  アンデレが「さっそく救い出しに行こう」と言うと、ペトロは引きとめます。そして重要な話を打ち明けるのです。「処刑されるのは師の望みなのだ」と。つづきはまた。

2017年12月8日金曜日

鶏の声


イエスの名前を呼んだあと、ペトロは膝を屈して泣きます。でもかれにはユダから託された使命があります。大勢の巡礼者たちが神殿をめざすのとは逆方向に、ペトロは神殿に背をむけて歩みはじめます。9節は、つぎのように締めくくられます。

ペトロは空を見上げた ――
  朝空に白雲がたなびいている。が、漁で鍛えたかれの目は、遠くに一点の黒雲があるのを見逃さなかった。かれは自分を奮い立たせるように神殿の階段を駆け降りると、仲間のもとに急いだ。その耳に、刻(とき)を告げる鶏の声が聴こえていた……
 
 聖書ではペトロが三度否認した後に聴こえてくる鶏の声が、小説ではここで聞えてきます。

2017年12月7日木曜日

師よ、師よ


神殿の外に押し出されたペトロは、まだ途方にくれています。そのペトロの目にうつった光景は…… 

 眼下に、昇ったばかりの朝陽をうけて白く輝くエルサレムの街が見える。その向うの丘陵に、いまは総督官邸となっているヘロデ宮殿が眩しく光っている。
 だが、ペトロの目にはそれも虚飾に満ちた光景でしかなかった。ペトロの心のなかに罪悪感がこみ上げて来た。かれは何度も「師よ、師よ」とつぶやいた。


  私たちが暮らしている都会の風景も、こんなふうに見えることがあるかもしれませんね。

2017年12月5日火曜日

頭の禿げた小男

 ぼうぜんと立ちつくすペトロに背後から声をかける人物があらわれます。「三十格好の、頭の禿げた小男」。誰だかわかりますか? その男がペトロに声をかけたあと、ペトロの腕をつかんで自分について来るように言います。ちょっと失礼して……

ちょうど神殿の開門の時刻だった。神殿の屋上から夜明けを告げる角笛(ショファル)の音が聴こえてきた……男は西門(コポニウス門)まで来ると、ペトロの背を突いて、かれを門外に押し出した。ペトロが振り返ると、男はくるりと背を向けて、何も言わずに去っていった。

この人、あのサウロです。ペトロとパウロの出会いが、こんなふうにさり気なく描かれているのがなかなかイイですね。
 
 

2017年12月3日日曜日

お前らが言いたいのはそれだけか

 さてイエスをガリラヤへ送ろうというピラトのアイデアも、祭司によって斥けられます。そのとき、それまで黙っていたイエスが「お前らが言いたいのはそれだけか。……お前らに乗っ取られたユダヤの、何と哀れなことよ」と言って、まわりを取り囲んだ人たちに向って「さっさと茶番を終わらせ、おれを吊るしたらどうだ」と叫びます。これに怒ったピラトは急に態度を硬化させて「この男を鞭打て」と命じます。祭司たちが用意した「公衆」がそれっとばかり一斉に「殺せ、殺せ」と煽ると、ピラトはもう手に負えないとばかり「おれの知ったことか」と責任を放棄してしまいます。そしてイエスをローマに対する反逆罪で死刑にすることを宣言してしまいます。刑の執行は正午に決まります。

鞭打たれて弱ったイエスの姿にペトロは身が裂かれるような思いをしています。そのペトロの心の内がつぎのように描かれます。

ペトロは、師が引きずられていくのを見ると、居ても立ってもいられず、直ぐにも躍り出たい衝動に駆られた……が、堪えなければならなかった。
 (いまそのようなことをすれば、すべてを台無しにしてしまう)
  師が耐えているのと同じに、ペトロもまた血を吐くほどの思いで耐えていたのである……

 三度も否認したペトロとだいぶちがうペトロが描かれています。
 
 


2017年11月28日火曜日

バラバ

 祭司たちの抵抗でイエスをヘロデ・アンティパスのところへ送ろうという提案をひっこめたヘロデですが、こんどは別のアイデアが浮かびます。ピラトは最初から祭司たちの要請には魂胆があることを見抜いています。神殿であばれまわったのがイエスでないことも知ってます。誰かといえば、あのバラバです。ピラトといえども本当の犯人でないイエスを犯罪人にすることはできません。そこでイエスを鞭打ち刑で処罰して、あとはガリラヤに送還しようと考えます。ガリラヤでふたたび領主のヘロデに処分を決めてもらえるかもしれないと考えたからです。
 ところでバラバといえば、聖書ではピラトが民衆にけしかけて「バラバかイエスか」って似者択一を迫るシーンが有名ですけど、この小説ではバラバのことは名前くらいで、あとはスル―されてます。ちなみにバラバにフォーカスしたのがその名前のまんま『バラバ』。これもわたしの好きな小説です。この時代のふんいきを知るのにもよいのでお勧めです。今日はこのくらいで。

2017年11月26日日曜日

ヘロデ・アンティパス


ピラトはここでちょっと頭に浮かんだアイデアを祭司たちに伝えます。それは、イエスをヘロデ・アンティパスのところへ送るというのです。

ところで、ここでちょっとブレイクしますけど、イエスはゲッセマネで逮捕されたあと、聖書では大祭司カイアファのところへ連れていかれ(ヨハネ福音書では先にカイアファの舅のアンナスの屋敷に連れて行かれます)、そこで裁判(予備裁判?)を受けたことになってます。でも小説では場所がいきなりサンヘドリン(神殿にあるユダヤの政府みたいな感じ)の法廷になってます。たしかにこのほうが分りやすくてすっきりしてます。

でもカイアファの屋敷で裁判が行なわれたのはなぜでしょう? それは過越し祭のような祭の前夜には開廷出来ないというような規制があったからからかもしれません。だから夜が明けてからサンヘドリンへ行ったのかも?(マルコ福音書151節)

とにかく作者が、イエスが連れていかれた先を大祭司の屋敷ではなく、サンヘドリンにしたのは、なにかわけがあるのかもしれません。どちらにしても裁判がこそこそと行なわれたことに違いはないのですが……

さてイエスをヘロデ・アンティパスのところへ送ろうとしたピラトですが、祭司たちの強い反対で撤回します。でもルカ福音書では、イエスはヘロデのところへ送られてます。(236節から12節)ヘロデの反応がおもしろいところですけど、作者は却下したみたいです。
 

第2章について

  『マルコによれば』第2章について書いてきました。ここでちょっとこの章について感想を述べてみます。  本章は時系列からいうと第1章(プロローグ)の前に位置します。第1章はイエスの「 公生涯 」に沿った物語展開でした。本章はその前史で、作者が想像的に描いたものですが、イエスがキリ...