2017年12月12日火曜日

師の最期を見届けることだ

 さて前からのつづきです。ペトロは処刑されるのがイエスの望みだという理由をみんなに説明します。それは「人の子として「一粒の種」になるためだというのです。「人の子」も「一粒の種」も、すでにイエスから聞いたことがあるのですが、まさかそれが死ぬことだったなんて!しかも本当に処刑されようとしているんです。OMGです。
 でもペトロはふんばって最後まで説明します。一粒の種のたとえは、種がいつか成長するということ。「師が一粒の種なら、おれたちは何だ?」そう問いかけます。みんな事態が深刻なことにようやく気づきます。「おれたちにいまできることは何か」という問いにペトロは「師の最期を見届けることだ」とこたえます。つづきはまた。
 

2017年12月9日土曜日

処刑されるのは師の望みなのだ

 10節に入ります。
 ペトロが再びマルコの母が営む旅館にもどってきます。

先生のイエスがとんでもないことになっていることを知らない仲間の人たちは、まだ眠っています。イエスの妻のマリハムとラザロはベタニアにすでに帰ったところです。(ベタニアというのはイエスにしたがってガリラヤから出てきた人たちが泊っている宿舎があるところです。もう少しあとで、ベタニア村の説明がありますから、くわしいことはまたそのときね)
  ペトロがみんなを起こしてすぐに集まるように言います。
  みんなはイエスが逮捕されたうえに裁判にかけられ、おまけに処刑されると聞いて、びっくり!
  アンデレが「さっそく救い出しに行こう」と言うと、ペトロは引きとめます。そして重要な話を打ち明けるのです。「処刑されるのは師の望みなのだ」と。つづきはまた。

2017年12月8日金曜日

鶏の声


イエスの名前を呼んだあと、ペトロは膝を屈して泣きます。でもかれにはユダから託された使命があります。大勢の巡礼者たちが神殿をめざすのとは逆方向に、ペトロは神殿に背をむけて歩みはじめます。9節は、つぎのように締めくくられます。

ペトロは空を見上げた ――
  朝空に白雲がたなびいている。が、漁で鍛えたかれの目は、遠くに一点の黒雲があるのを見逃さなかった。かれは自分を奮い立たせるように神殿の階段を駆け降りると、仲間のもとに急いだ。その耳に、刻(とき)を告げる鶏の声が聴こえていた……
 
 聖書ではペトロが三度否認した後に聴こえてくる鶏の声が、小説ではここで聞えてきます。

2017年12月7日木曜日

師よ、師よ


神殿の外に押し出されたペトロは、まだ途方にくれています。そのペトロの目にうつった光景は…… 

 眼下に、昇ったばかりの朝陽をうけて白く輝くエルサレムの街が見える。その向うの丘陵に、いまは総督官邸となっているヘロデ宮殿が眩しく光っている。
 だが、ペトロの目にはそれも虚飾に満ちた光景でしかなかった。ペトロの心のなかに罪悪感がこみ上げて来た。かれは何度も「師よ、師よ」とつぶやいた。


  私たちが暮らしている都会の風景も、こんなふうに見えることがあるかもしれませんね。

2017年12月5日火曜日

頭の禿げた小男

 ぼうぜんと立ちつくすペトロに背後から声をかける人物があらわれます。「三十格好の、頭の禿げた小男」。誰だかわかりますか? その男がペトロに声をかけたあと、ペトロの腕をつかんで自分について来るように言います。ちょっと失礼して……

ちょうど神殿の開門の時刻だった。神殿の屋上から夜明けを告げる角笛(ショファル)の音が聴こえてきた……男は西門(コポニウス門)まで来ると、ペトロの背を突いて、かれを門外に押し出した。ペトロが振り返ると、男はくるりと背を向けて、何も言わずに去っていった。

この人、あのサウロです。ペトロとパウロの出会いが、こんなふうにさり気なく描かれているのがなかなかイイですね。
 
 

2017年12月3日日曜日

お前らが言いたいのはそれだけか

 さてイエスをガリラヤへ送ろうというピラトのアイデアも、祭司によって斥けられます。そのとき、それまで黙っていたイエスが「お前らが言いたいのはそれだけか。……お前らに乗っ取られたユダヤの、何と哀れなことよ」と言って、まわりを取り囲んだ人たちに向って「さっさと茶番を終わらせ、おれを吊るしたらどうだ」と叫びます。これに怒ったピラトは急に態度を硬化させて「この男を鞭打て」と命じます。祭司たちが用意した「公衆」がそれっとばかり一斉に「殺せ、殺せ」と煽ると、ピラトはもう手に負えないとばかり「おれの知ったことか」と責任を放棄してしまいます。そしてイエスをローマに対する反逆罪で死刑にすることを宣言してしまいます。刑の執行は正午に決まります。

鞭打たれて弱ったイエスの姿にペトロは身が裂かれるような思いをしています。そのペトロの心の内がつぎのように描かれます。

ペトロは、師が引きずられていくのを見ると、居ても立ってもいられず、直ぐにも躍り出たい衝動に駆られた……が、堪えなければならなかった。
 (いまそのようなことをすれば、すべてを台無しにしてしまう)
  師が耐えているのと同じに、ペトロもまた血を吐くほどの思いで耐えていたのである……

 三度も否認したペトロとだいぶちがうペトロが描かれています。
 
 


2017年11月28日火曜日

バラバ

 祭司たちの抵抗でイエスをヘロデ・アンティパスのところへ送ろうという提案をひっこめたヘロデですが、こんどは別のアイデアが浮かびます。ピラトは最初から祭司たちの要請には魂胆があることを見抜いています。神殿であばれまわったのがイエスでないことも知ってます。誰かといえば、あのバラバです。ピラトといえども本当の犯人でないイエスを犯罪人にすることはできません。そこでイエスを鞭打ち刑で処罰して、あとはガリラヤに送還しようと考えます。ガリラヤでふたたび領主のヘロデに処分を決めてもらえるかもしれないと考えたからです。
 ところでバラバといえば、聖書ではピラトが民衆にけしかけて「バラバかイエスか」って似者択一を迫るシーンが有名ですけど、この小説ではバラバのことは名前くらいで、あとはスル―されてます。ちなみにバラバにフォーカスしたのがその名前のまんま『バラバ』。これもわたしの好きな小説です。この時代のふんいきを知るのにもよいのでお勧めです。今日はこのくらいで。

2017年11月26日日曜日

ヘロデ・アンティパス


ピラトはここでちょっと頭に浮かんだアイデアを祭司たちに伝えます。それは、イエスをヘロデ・アンティパスのところへ送るというのです。

ところで、ここでちょっとブレイクしますけど、イエスはゲッセマネで逮捕されたあと、聖書では大祭司カイアファのところへ連れていかれ(ヨハネ福音書では先にカイアファの舅のアンナスの屋敷に連れて行かれます)、そこで裁判(予備裁判?)を受けたことになってます。でも小説では場所がいきなりサンヘドリン(神殿にあるユダヤの政府みたいな感じ)の法廷になってます。たしかにこのほうが分りやすくてすっきりしてます。

でもカイアファの屋敷で裁判が行なわれたのはなぜでしょう? それは過越し祭のような祭の前夜には開廷出来ないというような規制があったからからかもしれません。だから夜が明けてからサンヘドリンへ行ったのかも?(マルコ福音書151節)

とにかく作者が、イエスが連れていかれた先を大祭司の屋敷ではなく、サンヘドリンにしたのは、なにかわけがあるのかもしれません。どちらにしても裁判がこそこそと行なわれたことに違いはないのですが……

さてイエスをヘロデ・アンティパスのところへ送ろうとしたピラトですが、祭司たちの強い反対で撤回します。でもルカ福音書では、イエスはヘロデのところへ送られてます。(236節から12節)ヘロデの反応がおもしろいところですけど、作者は却下したみたいです。
 

2017年11月23日木曜日

お前はユダヤの王なのか?


 ピラトは祭司たちの要請には魂胆があることを鋭い目で見抜いています。さすがにモウキンですね。ピラトは神殿であばれまわったのがイエスでないことを知ってます。
 それに、ピラトは祭司たちの小細工(あのゲッセマネでのお芝居です)も見抜いています。ただイエスがガリラヤの出身であることだけが気がかりのようです。


 そこでピラトはイエスに「お前の罪状について、弁明する意思はあるか」と聞きます。イエスが黙っていると、横から祭司が「このガリラヤ人はユダヤの王を僭称する不届き者だ」と言って、ピラトに関心を向けさせようとします。そこでピラトはイエスに冗談めかしてたずねます。「お前はユダヤの王なのか?」と。ピラトはイエスをうつけ者だと思って軽くみているのです。

2017年11月21日火曜日

ピラト

 ピラトは祭司たちを自分の執務室に来るよう求めますが、祭司たちは異邦人(ユダヤ人以外の人たちのこと)との接触を避けるために、ピラトが出向いて来るように要求します。ピラトはピラトで、なんで自分から出迎えなきゃならないのって感じで、これを受け付けません。そこで祭司のひとりが釣り玉としてイエスがガリラヤ人であることを伝えます。するとそれに釣られるようにピラトが姿を現します。ピラトが反応したのは、ガリラヤという地域が「ローマにとって厄介な地域」だったからです。ピラトは作者によって、つぎのように描かれます。

 案の定、ピラトは祭司たちの前に現れた。かれは緊急時に備え、胸甲を身に着け、長靴(ちょうか)を履いていた。その風貌は狡猾そうな目と相俟って、ある種の猛禽を彷彿させた。

2017年11月20日月曜日

アントニア城塞

 いよいよ9節に入ります。舞台はピラトが詰めいているアントニア城塞です。そこは神殿にくっついていて、ユダヤにとってはありがたくない所でしょうけど、ローマの軍隊がここからエルサレムと神殿に目を光らせているんです。監視塔みたいなものなのでしょう。
 
 9節の導入の描写は時代背景がわかるように書かれていて、いろいろと教えられます。でもここでは割愛します。ぜひ小説よんでみてください。
 さてイエスは、アントニア城塞の中庭(舗床の庭)に連行されてきます。そこで祭司長がローマの兵隊に用件をつたえます。その間しばらくそこの情景が描写されます。ちょっと引用してみましょう。

 「舗床の庭」には未明の月影が、むらぬらと舗石を濡らしていた。中庭の要所々々には篝火が焚かれ、ぱちぱちと薪が爆ぜる音がした。中庭は厚い塁壁と四つの塔に囲まれていた。見上げると、各塔の上に歩哨が立ち、夜の監視に当っていた。……

 臨場感がありますね。月の光が「ぬらぬらと」舗石を濡らしているって、とても新鮮な表現でしょ。そしてカメラワークが、ぐっと塔の高いところへ回っていくのもいいですね。

 

第2章について

  『マルコによれば』第2章について書いてきました。ここでちょっとこの章について感想を述べてみます。  本章は時系列からいうと第1章(プロローグ)の前に位置します。第1章はイエスの「 公生涯 」に沿った物語展開でした。本章はその前史で、作者が想像的に描いたものですが、イエスがキリ...